※ラストのネタバレしまくっています。フルーツバスケットを最終回までお読みになった方、ネタバレOK!な方のみご覧ください。
フルーツバスケットは、はちゃめちゃにエモく泣かせてくる漫画ですが、その泣かせるストーリーや表現する感情が「ありきたり」なものではないと私は思っています。
いじめの問題や生きる意味についての話など、漫画で描かれやすいテーマもあれば、今でこそよく語られるようになった毒親や虐待についての話が当時からすでにリアルに語られていたり、人と人は分かり合えないのだという諦めが描かれたり、割りきれない感情、言葉にするには難しく一般的とは言えない想い、ちょっと共感し辛い特殊な立場の人間の感情までもが語られます。
自分は最近久しぶりに読んで、はじめは「こんなん子供にはわからんだろ」「いや辛すぎるやろ」「哲学・・・!」みたいな突っ込みを入れまくっていたのですが、いつの間にか感情移入させられてほとんど毎巻号泣していました。
深い。フルーツバスケットは深い。
大人こそ読むべき漫画です。
まだ読んだことの無い方は完全版で全巻揃えて100回くらいは読むことをおすすめします。
前置きが長くなりましたが、考察第一回目は
「由希くんは裏の主人公だったのではないか」説を。
作者の高屋奈月先生がツイッターか何かで「透くんと由希くんのラストシーンがこの物語のゴールでした」的なことを仰っていて(無責任なうろ覚え)驚きました。
透くんと夾のラブラブカップルのハッピーエンドがゴールなんじゃないの??と思ってしまったのです。
いやそもそも物語とは一人の主人公がいて、主人公の人生がその物語の主軸というか主役というか、メインだと思い込んでいたので、考えもしなかった新しい視点に驚いたというか。
物語の最初に出てくる人物が大抵は主人公ですよね。
ハンターハンター第一話しかり、ワンピース第一話しかり、漫画では第一話はどうしても読者へ向けた主人公の紹介話になるので、過去の回想場面以外は、基本的にはじめに登場するのが主人公と相場が決まっています。
フルーツバスケット第一話でも、1ページ目から自己紹介しながら登場するのが透くんです。だから透くんがこの漫画の主人公という認識は間違いないと思うのですが、もう一人、裏の主人公がいるとしたら・・・由希君なのではないでしょうか。
作者の方が二人の関係の至るところがこの作品の胆だと仰るわけですから、
作者の描きたいもの=物語の一番大事な部分
と言う捉え方で行くとそうなのではないかな・・・と。
作者がゴールと定めた由希くんと透くんの関係性の帰結について、二人の関係は複雑かつ他に類を見ないもので(少なくとも自分の見知った物語のなかでは)少数派の関係性だと思うのです。自分は子供の頃読んだときはほとんど理解ができないくらいでしたし。
軽率にネタバレすると、由希くんは透くんのおでこにちゅーしたり、ロリータ服を着た透くんをかわいいと誉めたりするので「え?好きだな?絶対透くんのこと好きだな?」と読者は思ってたわけですが、
由希君の透くんへの「好意」はなんと恋というより、子供が保護者を慕う気持ちだったというではないですか・・・!
自分のことを愛してくれるお母さんがいたらこんな感じだったのだろう的な。君は僕の理想のお母さんですという気持ちって・・・!?由希くんが同い年の女の子に求めるものが母親って・・・!その流れは始めてみた!!!!
いや少年漫画で男性作家の作品だとあからさまではないにしろ似たような表現は出てくると思うんですよね。
男にとって、理想の恋人が同時に自身を慈しみ包み込んでくれる聖母でもあるって表現は結構ある気がします。母親へ向けるような憧れや敬慕を恋人に向ける、といった表現が男性向け漫画には多いような気がします。自分の主観なのでただの印象で語ってしまいますが・・・
北斗の拳とか、ジョジョとか、NARUTOのサクラちゃんとか、からくりサーカスのしろがねとか??
・・・しかし、今あげたものは男の求めるものが
恋人=母親のような慈愛で男を包み込む女性
という感じでした。
しかし由希くんの求めるものは一味違うのです。彼は透くんには恋人を一切求めません。同い年の彼女に、ただ「お母さん」のような存在であることを求めているんです。これは画期的だと思います。しかも最終的に由希くんは透くん本人にそれを告げるんです。「君は僕の母さんみたいな人だった」と。そして「育ててくれてありがとう」的な(そうは言わないけど)別れを口にするんですよ。完全にあれです。花嫁が結婚式で読むやつ。「親への感謝の手紙」ですよ。「長い間育ててくれてありがとうお母さん、わたし幸せになります!」ってやつですよ。いや由希くんは透くんに育てられたわけじゃないけどさ。実質三年くらいしか一緒に住んでないんですけど。
これ漫画で読んだときは十代だったのでほんとにびっくりしました。
「え、透くんのことを、恋愛的に好きなんじゃなかったの!?おかんってどゆこと?え?今まで見たことないパターンや!!!」
って、人生経験が浅いお子様な私は頭を抱えたものです・・・今ならわかる。由希くんの気持ちもわかるし、そしてその関係の尊さもわかる。
由希くんは親にはネグレクトされ、はじめて存在を肯定してくれた人には言葉で虐待され、実の兄には助けを求めようとするもシカトされ、小さい頃はもう本当に全く救いのない日々を過ごしています。でも持ち前の美貌と頭脳と運動神経などを駆使して努力して、普通の人に憧れられるようなキャラクターに成長します。それなのに、コンプレックスや引け目で他者とはどうしても一歩引いた関係しか作れない。自分が魅力的な人間だと評価されても半信半疑で受け入れられない。
人に優しくされることはもちろん幸せなことですが、自分が誰かに優しくした時、その相手に優しさをちゃんと受け取ってもらえることも同じくらい幸せな経験だと思います。だから、互いに優しくし合える関係が一番人を幸せにするのではないでしょうか。そしてそれは家族の役割の一つだと思うのです。そして由希くんはきっと、小さい頃からそれを与えられず、ずっと探し求めていたと思うんです。で、それをくれたはじめての人が透くんだったと・・・
夾君も由希君と似た者同士ではあるのですが、夾君にはお互いに大切に思っている師匠という素晴らしい保護者がいました。由希君にはずっとそれが居なかったんです。その悲しみや寂しさは耐えがたいものだと思います。
母という存在に憧れていた少年が、同級生の女の子にそれを見いだし、あまつさえ本人にストレートに告げてしまうという中々衝撃的な話なのですが、その特殊な告白を受け入れてしまえる懐の深さを持つ主人公「本田透」
だからこそ、由希くんは告げることでその気持ちを受け入れてもらえて、さらに解放されたのでしょう。
だからフルーツバスケットは、幼い頃から虐待されて虐げられていた人が、他者を思うことのできる人格に自力で成長し、そして互いに優しくし合う関係を求めていた願いが叶って、さらに人間として大事なものを手に入れる物語でもあったのかなと思いました。
読んですぐには理解できませんでしたが、由希君の辛さが想像できるようになった今なら
「良かったねぇ・・・!恋愛とはまた違う、無償の愛を与え合える存在を見つけたんだね・・・!幸せにおなり・・・!ウッ」
と尊さに涙を流して倒れ込む程度の理解はできるようになりました。
そんな価値観は恋愛至上主義な少女漫画ばかり読んでいた私にはなかった、新しいものでした。
「こういうのもあるのか・・・」と新しい価値観を教えてもらえて、新しい尊さに触れられて、感動し、なんというか・・・ありがたかったです。(語彙力)
高屋奈月先生は神。